土湯峠
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
国道115号線の峠のトンネルがまだ工事中だった頃。
太陽が照りつける真夏の午後のこと。
福島市から猪苗代の町に向かっていた。
炎天下の上り坂、ペダルを踏み続け、やっとの思いで土湯温泉までたどり着いた。
温泉街に泊まるつもりではなく、ここを峠だと、あとは下るだけだと勝手に思い込んでいた。
が、現実はそうではなかった。
温泉の入り口を数百メートル過ぎたあたりの標識には、
「土湯峠まであと16.5キロ」と。
遠のいたゴールに、ひどくダメージを受けた。
既にペダルを踏む力はなく、トボトボと力なく自転車を押し歩いた。
終わりのない、裏切り続ける曲がり道の向こう側。
陽はとっぷりと暮れ、水筒の水も無くなり、もう少し、あともう少しと歩き続けた。
朦朧とする中クラクションが響いた。
道路の真ん中で倒れていた自分。
当時では珍しいキャンピングカーのお兄さんだった。
「所用でトンネル工事の出勤が遅れたからこの時間に通ったものの普段は誰も通んないよ。」と自転車ごと車に乗せてくれ、車内の冷蔵庫からボトルの冷たい水を出し「飲めよ」と手渡してくれた。
それから、タイムカードだけ押してくるからと一旦事務所へ寄ったあと峠まで連れて行ってもらった。
見えなくなるまで何度もお礼を言い、別れた。
峠を下り、猪苗代の町に着いた。
何軒目かで素泊まりの安宿を見つけた。とにかく風呂と布団が欲しかった。
中居さんから洗濯物を促され手渡した後、倒れ込むように眠り落ちた。
翌朝、同じ中居さんが洗濯物をキレイに仕上げ持ってきてくれた。
直後、素早く「おにぎりと味噌汁」のお盆を部屋へ差し入れた。
「僕は、素泊まりだから…」
すると「宿帳で同郷の人だと知ったから、九州から嫁いで初めてのことだから。」と。
また「お盆はそのままで、そして『ありがとう』も言わないで。女将さんに知れると叱られるから。」と言い部屋から出て行った。
こぼれ落ちる涙といっしょに、握り飯を噛みしめた。
帰り際、もう一目だけ挨拶したいと思ったが、そこに現れることはなかった。
それから十数年後、両親と嫁、子供を連れて東北地方を旅行し、土湯温泉に泊まった。
もちろん土湯トンネルをくぐって。
旅はつづく