古本屋の日記

古本屋や趣味のことなど

映画について

映画が好きでよく観に行きます。

記憶にある最初の映画は「タワーリングインフェルノ」でした。

これは小学生低学年の時、何のついでか知りませんが母に連れられ観たものです。もちろんストーリーなど何もわかりませんでした(笑)

中学生の頃より「スクリーン」や「ロードショー」を買うようになり、当時は特に「青いページ」が好きでした(笑)

「青いページ」の意味はわかる人にしかわかりませんが、知らなくてもなんとなくわかるでしょ(笑)

ほんとはアニメとかも観たいけど恥ずかしくて。

勇気を出して「漁港の肉子ちゃん」行ったら結構同年代の人多くて安心しましたよ(笑)

ジャンルは特にこだわりはないですが、寅さんや浜ちゃんシリーズは好きですね。

いずれにしても、自分では体験できないことや、到底行き着くことができない考え方を示してくれる映画は、本当にありがたいものと思います。

これからも、ちょっとでも時間あれば観に行きたいですね。

 

ピースサイン

はじめてピースサインを出した時のことはもう忘れてしまった。

自分の住んでる町を出て、市境を越え、県境も越え、走行距離がだんだんと延びるにつれ、ツーリングライダーともよくすれ違うようになり、いつの間にかピースが当たり前になっていく。

そして、いつの間にかピースを貰っても頷くだけになっていった。

今日、4台のグループツアラーとすれ違い、全員から「振り手のピース」を貰ったら思わず、「振り手のピース」で返してしまった。

久しぶりのピースだった。

昔、ツーリングを始めた頃、ピースを返して貰って喜んでた自分を思い出した。

バイク乗りの挨拶だからね。

皆さんご安全に!

 

 

ワクチン接種

一般的な会社員の方々と比べると、比較的人と接触する機会の少ない生活をしているわけですが、かかりつけのドクターに勧められてワクチン接種いたしました。

1回目は注射した腕の周辺にわずかに圧迫感があった程度でしたが、2回目の後は、発熱、悪寒、筋肉痛、関節痛の症状が現われました。

いわゆる風邪の症状と同じ状態です。

鎮痛剤を飲んで、エアコンの効いた部屋で毛布にくるまって寝たら少し落ち着いたという感じでした。

因み、ワクチンはファイザー製でした。

ワクチン接種で感染拡大の抑制につながると良いのですが。いずれにしても、早くこのコロナ騒ぎが収束してほしいですね。

 

ホエブス725

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35年以上前に購入し、日本中で米を焚き続けた相棒。

 

特徴を紹介すると、

1.炎の調整ツマミを回すことでノズルのスス掃除も兼ねていてほぼメンテナンスフリーだったこと。

2.燃焼調整ツマミが長く、鍋からはみ出したところにあるので、吹きこぼれて操作しても火傷しにくかったこと。

3.バイクのガソリンコックのホースを外して直接燃料を補充できたこと。(真似しちゃダメだよ)

4.そもそも圧縮ポンプがなく、「プレヒート」も、本体に滲んだ(給油口にこぼれた)ガソリンに引火し勝手に燃焼が落ち着くという荒技を使っても全くへこたれなかったこと。(真似しちゃダメだよ)

などなど。(笑)

 

当時、コールマンなど他メーカーのものと比較しても1.5倍ぐらいの価格だったと思うけど、コイツを選んだんだなぁ。

今時のバーナーとは比較にならない性能だけど、見ていて愛くるしいねぇ。

 

死んだら棺桶に一緒に入れてもらいたい。(笑)

 

オイルランタン

今更ながら、オイルランタンの魅力に取り憑かれつつあります。

これまで幾度となくキャンプをしてきましたが、夜の灯りに拘ったことはありませんでした。

そこらじゅうを照らし輝く、マントル式のガソリンランタンで不足はなかったのですが、物足りない光量不足のオイルランタンの炎は、全く次元の違う効果を醸し出すようです。

小さく揺れる弱々しい炎が主張する、可愛らしく、儚く、侘しく、それでいて暖かい。

うーん、なかなか奥深そうだな〜と。。。

いつまでも眺めていられそうです。

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寝床でも活躍する。国産、亀山ランタン。

 

気仙沼、本吉町

記憶が正しければ、たぶん気仙沼市本吉町あたりの海岸だったと思う。

鯨の潮吹きのような岩が近くにあったようだ。

 

早朝のこと

「オメェここで何してんだ?」

車を乗りつけ親しみをこめて話しかけてきたお兄さん。

前日のキャンプ場で一緒に過ごした家族のお母さんから、今朝の別れ際に手渡されたおにぎりを食おうとしていた。

九州ナンバーのバイク乗りに興味を持ったようだった。

 

少しのやりとりのあと

「親父がイカ釣り漁船から落ちてよぅ、体だけでもあがんねぇかなぁ。と思って。」

そのお兄さんは夜通し運転し、たった今横浜から帰り着いたようだった。

「ま、せっかくだから、家へ寄ってけ。」

「いや、そんな大変な時にダメですよ。」

そんなやりとりののち、結局お邪魔することになった。

 

実家には三人の妹がいて、皆を起こすなり部屋の片付けや朝食、風呂の準備などさせた。

昨日から大変だっただろうに、文句も言わず俺のために動いてくれた。

「この辺りでは、お客さんなんて滅多に来ねえから。ゆっくりしていけ。」と言ってくれた。

風呂をいただき、二人で朝飯を食べていると、近所の漁師仲間のようなおじさんがやってきた。

俺の顔を見るなりキョトンとして「誰だオメェ。」

「さっき、そこの海岸でお兄さんと出会って、今朝ごはんいただいてます。。。」

「そうか。」

で、昨晩の親父さんの海での話が始まる。

数分もしないうち、また別の人がやってきた。

次々と訪れる関係者。繰り返される同じ質問。

まずい、このままでは。完全に邪魔者だ。

詰め込むように朝食を終え、お兄さんに目くばせし「ありがとうございました。」妹さんたちにも「ごちそうさまでした。」漁協のおじさんたちには「お邪魔しました。」とペコペコと頭を下げながら気まずい思いで後ずさった。

それでも、お兄さんは妹たちに「握り飯と飲み物」を準備させ、「気をつけろよ。また来いよ。」と道路まで出て見送ってくれた。

 

なんてことだ。この感謝の気持ちは一生忘れない。

 ありがとうございました。

 

それから20年以上もの時が過ぎ、残酷なあの日が訪れた。

けっして忘れないから。

だけど何もできなくて、ごめんなさい。

 

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本文とは関係ありません

 

 

 

虹の松原

野宿ツーリングをはじめた頃の、ずいぶん昔の話。

場所などどこでもよかった。

夕暮れまで走って、テントを張って、飯を焚き、シュラフで寝る。

ただそれだけでよかった。

 

その日は、九州北部の砂浜が寝床となった。

何事もなく夜を迎え、そして朝を迎えた。

テント越しに朝の気配が差し込む。

ふと、耳を澄ますとテントの外で微かな物音。

次の瞬間、刃物の先端のようなものが、テントの裾を「スー」っと撫でていく。

一人ではない。テントの周りに数人いるようだ。

わずか数秒だろうが、何分にも感じた。

覚悟を決め、ドライバーを片手に、テントのジッパーを引きちぎるようにハネ開けた。

 

次の瞬間、数羽のサギ(のような鳥)が一斉に飛び立っていった。

握りしめたドライバーを見つめ、独り苦笑い。

 

あれから35年、未だ思い出しては苦笑い。

 

 

 

金精峠

いわき市の友人を訪ねる旅。

 

十数年前の10月初旬頃。

前の日にどこに泊まったかも覚えていないが、長野県から群馬県へ向かう途中。

その日、いくつかの峠を越え、いわき市に向かっていた。

途中、道路の脇に積もった雪が気になった。

九州ではあり得ない、この時期の積雪。

地図を見ると、坤六峠を越えさらに金精峠へと向かう道。

300kgを超える鉄の塊のようなバイクにはタフなワインディングだった。

峠に近づくにつれ、残雪は道路の大部分を埋めるように広がり、ついには全面シャーベット状となった。

両足で路面を探りながら、後続車に道を譲りながら、歩くように進む。

かなりの時間を費やし、やっとの思いで抜けたトンネル。

文字どおり峠を越えた先の、夕日に輝く中禅寺湖が眩しかった。

疲労困憊だが、達成感で笑みが溢れる。

だがしかし、目的地まではまだ200kmはある。

ひたすら高速を飛ばし、友人宅にたどり着いた時にはすっかり夜の帳が下りていた。

お互いに笑顔で再会を喜んだ。

土産話は、山ほどある!

 

旅はつづく

 

 

 

 

土湯峠

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

国道115号線の峠のトンネルがまだ工事中だった頃。

 

太陽が照りつける真夏の午後のこと。

福島市から猪苗代の町に向かっていた。

炎天下の上り坂、ペダルを踏み続け、やっとの思いで土湯温泉までたどり着いた。

温泉街に泊まるつもりではなく、ここを峠だと、あとは下るだけだと勝手に思い込んでいた。

が、現実はそうではなかった。

温泉の入り口を数百メートル過ぎたあたりの標識には、

「土湯峠まであと16.5キロ」と。

遠のいたゴールに、ひどくダメージを受けた。

既にペダルを踏む力はなく、トボトボと力なく自転車を押し歩いた。

終わりのない、裏切り続ける曲がり道の向こう側。

陽はとっぷりと暮れ、水筒の水も無くなり、もう少し、あともう少しと歩き続けた。

朦朧とする中クラクションが響いた。

道路の真ん中で倒れていた自分。

当時では珍しいキャンピングカーのお兄さんだった。

「所用でトンネル工事の出勤が遅れたからこの時間に通ったものの普段は誰も通んないよ。」と自転車ごと車に乗せてくれ、車内の冷蔵庫からボトルの冷たい水を出し「飲めよ」と手渡してくれた。

それから、タイムカードだけ押してくるからと一旦事務所へ寄ったあと峠まで連れて行ってもらった。

見えなくなるまで何度もお礼を言い、別れた。

 

峠を下り、猪苗代の町に着いた。

何軒目かで素泊まりの安宿を見つけた。とにかく風呂と布団が欲しかった。

中居さんから洗濯物を促され手渡した後、倒れ込むように眠り落ちた。

翌朝、同じ中居さんが洗濯物をキレイに仕上げ持ってきてくれた。

直後、素早く「おにぎりと味噌汁」のお盆を部屋へ差し入れた。

「僕は、素泊まりだから…」

すると「宿帳で同郷の人だと知ったから、九州から嫁いで初めてのことだから。」と。

また「お盆はそのままで、そして『ありがとう』も言わないで。女将さんに知れると叱られるから。」と言い部屋から出て行った。

こぼれ落ちる涙といっしょに、握り飯を噛みしめた。

帰り際、もう一目だけ挨拶したいと思ったが、そこに現れることはなかった。

 

それから十数年後、両親と嫁、子供を連れて東北地方を旅行し、土湯温泉に泊まった。

もちろん土湯トンネルをくぐって。

 

旅はつづく

 

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いっしょに峠を越えた相棒